りょうのメンタルぶれてる時に更新されるメモ帳

メンブレしたときの掃き溜め。

SNS立ちの続き

今日見直して思った、
SNS"立ち"ってなんだよ、断ちじゃねーのかっていうことを。

ただ単に変換ミスなのだが、これはこれでしっくり来る。断つというとどうしても一時的に辞めるというニュアンスが私にはあって、どうも引き際がよくない。立つにすれば、巣立ち、つまり今までSNS楽しかった、だからもういい、さよならという心境をうまく表現できているように思う。

こんな変換ミスに自分なりに言い訳つけるのはここまでにして。

バイト減らして(-)フラれて(-)SNS立って(-)研究の時間増やして(+)の差し引きで、やっぱり暇な時間は増えた。1,2年前と違うのはすこし疲れてることだが。
何もしないでおこうと思ったが、何にもないと無為に寝ているか、起きててもダブルオー見直すぐらいしかできなかった。(ファフナーはROLから入ったせいか気持ちが重い)何より、何もしてないと何かしたくなってしまうものである。何、が多い文章だ。

とりあえず今月からは英語再開したいので、言語交換をやろうと思う。文法なり単語なりのインプットは塾講のアルバイトで割としているしもともと自信はあるので、スピーキングのアウトプットに取り組むつもりだ。

それともうひとつ、御朱印を集めようかと考えている。去年に熊野、今年に京都を訪れてからなんとなく寺社に訪れた記念がほしいと思っていた。写真を撮るのでも構わないのだが、一人で旅行して被写体に人間がいない写真を撮り続けるのはあまり幸せなものではない。御朱印であればそのようなことを気にせずに、その時その場での記録を取ることができると思うのだ。何よりべらぼうに高いものじゃないし。

メンタルぶれてんのかわかんねぇな。

SNS立ち

わたしも20代だからそれなりにSNSを使うのだけれど、最近は少しずつ減らしていくことにした。というのも、やり始めの頃は1日の空いているうちをそれに割いてボンヤリする時間を減らす、という程度のものだったが今ではSNSに縛られて生活している気がするのだ。それもそれで他にやることがないのでよかったが、最近は研究だったりインターンだったりと自分の時間をフルに使うように努めるようになったため、まるで今のような使い方をするのについていけないのだ。

 

時間を割きたくないことに加えて、知り合いとのチャットというものに飽きたということもある。SNSでの交流、いやすべてのチャット型のコミュニケーションで言えることなのだが、私は天才の筆者ではないから言葉だけで感情の機微や抑揚を伝えることができない。それでいわゆる”淫夢語録”や”オタク構文”のフォーマットを借りてきて、そのフォーマットの場面を選ぶことで私の会話における心理状態を伝えるという交流になっている。つまりは内輪ネタであって、これはこれで楽しい。楽しくなければ1年以上も続けられるはずがないし。ただ、うまくはいえないが、もうこんなことはやめにしていいんじゃないかと思うようになってきたのだ。幼稚だから、などと否定する理由もつけられるが、それ以上に、もういいんじゃないか、十分コレを楽しんだよ、というSNSというもに向かう心持ちが減衰していっているのだ。

 


SNSに使う時間を減らすことによって、私には新しく時間ができるわけだ。何をしようかとも考えたが、ひとまず自分で新しく何かを始めることはしないでおこう、というのが今回の結論だ。それで起こる変化を見てみたいからだ。やっている状態からやらない、やめることで変化を生み出す。これは直近一番のブレークスルーだと勝手に思っている。

回復

最近寝られないので思いきって4時ぐらいから起きてた。
することもないので、自分が何をしてきたのかをなるべく誉めるようにして声に出してみた。涙こそでなかったものの、安心して泣きそうになった。

誰かに認めてもらいたいんだろうと思っていたけれども、ほんとのところ自分が自分を認められないままに高校、大学と過ごしてきたようだ。やっと僕は自信の努力を成否の掛け値なく評価できる余裕と、ある程度の結果を得たのだろう。

思えば高校も大学も初めは頑なな初心を抱いて入学したものだった。少なくとも満足のいく結果を得られたわけではないスタート。それは中学と高校で満足のいくゴールを切ったわけではないことを意味する。ただ、やっと私は大学生活において第一志望においた目標を達成することができた。従来より目標が低いとも考えられるが、自分にみあった設定ができたとも言える。

今までは失敗に対する後悔と恨みをもって次の学校での努力を始めてきた。少なくとも今回は成功したのでそれらはない。僕は次のステップ、大学院への原動力がない状態とも言える。そこで過去の自分を正しく捉えるという行動に移っているのだろう。

俺が私を認める、これができないばかりにわざわざ悩んできた時間がある。しかし、それがが解決した今、できなかった自分の気持ちもわかる。少なくとも今は、心に安定がはかれたことに安堵し、そして糧にしていくべきなのだろう。

自棄になりかけた僕を必死に食い止めて、振り返りをする契機をくれた元クラスメイト氏への感謝をもって、今日を閉じたいと思う。

初ファフナー

ついに布教に負けてROLから鑑賞してみた。
…何あれふつうに辛くない?これで救いがある方なの?

俺は単純に将陵先輩の理性のはたらきかたが信じられない。使命感で狂わないことができるか?なんでよ。あそこで帰らないって選択肢選べるのかよ。何で記録を残しつつ、同化を防ぐなんて思い付くんだよ。いや思い付くなら出きるかもしんない。でも実行できるものかよ?

同じ名前を名乗るのが恥ずかしくなった。